啓典というならば、世の中の本とどのように異なるべきなのか?
啓典というならば、世の中の本とどのように異なるべきなのか? (解説者 リズビ カマル)
第54、カマル章の17-22-34-40節に“われはクルアーンを易しく説き明かした”
と仰っています。預言者ムハンマド様は言行録サヒ ブファリのイイマーン本の
38番ハデイースに“イスラムの教えは簡単である、節度を越えてはならない。”
と仰っています。ですから簡単に説明したいと思います。
創造主はイスラムの基本の本、聖クルアーンの第30、ルーム章の30節に
“アッラーが人間に定められた天性に基づいて。アッラーの創造に、変更がある筈はない。”
と仰っています。また第17、イスラ章の85節に“(人びとよ)あなたがたの授かった知識は
微少に過ぎない。”とも仰っています。
辞書で調べて見ると“啓典”と言うのは神から預言者たちに啓示された書物のことです。
聖クルアーンに預言者モーゼ様の五書、ダビデ様の詩篇、キリスト様の福音書、
そしてムハンマド様の聖クルアーンと言う名前で示しています。
先ほどの節で創造主が仰っているように、人間の知識は微少に過ぎないので、人々が
書いた本と言うのは完璧ではありません、また凡ての人間に訓戒を齎さないのです。
ですから先ほどの質問の“世の中の本とどのように異なるべきなのか?”と言う
質問に対して啓典と人間が書いた本は比較にならないと言えるのです。現世に例えると
啓典は会社の定款のようなものです、そして人間が書いた本は登記簿謄本のことです。
会社の定款は変えることは難しいです、何故かと言いますと定款では会社の最も基本の
ことが書かれてあるからです。だが登記簿謄本はいろいろ変えることが出来ます。
また人間が本を書くと何かまたは誰かのことを語るようです。だが啓典では実際の
ことを教えてくれるのです。例えば人間の本には何かのことについて“だと思います”
や“でしょう”などの言葉使いをするのです。だが啓典ではあることについて
“このことはしてはならない”また“このことである”と確かな言葉が
示されてあります。何故なら創造主は全能と全知であられる御方であるからです。